転換期中国における貧困識別と貧困者ターゲティング

    Poverty Identification and Poor Targeting in Transitional China

東京経済大学 羅歓鎮

 

はじめに

世界銀行のモット「貧困なしへの世界を」(A World free of Poverty)が示しているように、貧困撲滅は開発途上国の経済社会開発における最も重要な目標である。先進国を含む国際社会の貧困削減行動は1950年代に遡ることができる。半世紀以上の貧困削減努力は必ずしも良い成果をもたらしているわけではない。1980年代から貧困削減に大きな成功を収めた中国があれば、貧困がなかなか減らないアフリカの多くの国も存在している。なぜ貧困削減のパフォーマンスがそこまで違うのか。なぜ中国は大きく貧困削減を実現できたのか。本稿は、貧困識別と貧困者ターゲティングという視点から1980年代からの中国における貧困削減の実践を検討し、途上国の貧困削減努力の参考にしていきたい。

 

中国の貧困削減

貧困は長期貧困と一時的貧困、絶対貧困と相対貧困、そして農村貧困と都市貧困などに分けることができるが、本稿は中国の農村絶対貧困に限定する[1]。改革開放が始まった1970年代末に中国は一人当たりGDPがわずか180ドルに過ぎず、アフリカの多くの国より貧しい国であった。40年間の高度成長を経て、2018年に中国は一人当たりGDP9,000ドルを超え、上位中所得国(upper middle income)に邁進している。高度成長に伴い、中国農村貧困人口も急速に減少し、貧困削減に大きな成功を収めている(表1)。

貧困者を確定するために、まずは貧困基準を決めなければならない。ここでは所得貧困という指標を使う。中国は、農村貧困を特定するために、所得貧困線を定めている。1978年の所得貧困線を一人当たり年間100元であった。一日当たりに換算すると、わずか0.27元しかない。当時の中国農村物価はいくら低くてもその金額はぎりぎりまでの生存に足りるかどうかは疑わしい。農村人口一人当たり年間100元の貧困線を用いると、1978年の農村貧困人口は25,000万人に達し、貧困率(head rate)が30.7%となっている。農家生産責任制をはじめとする農村改革によって農村経済は急速に発展し、それに伴って農村貧困人口は急速に減少した。85年の貧困人口は半減し、貧困率も15%に減っている。それ以降、物価調整をした極端な貧困人口は2007年に1,500万人になり、極端貧困率もわずかの1.6%に過ぎなかった。すなわち、78年(1985年)の基準で測ると、中国は2010年前後に農村貧困人口は消滅したと判断できると過言ではない。

2011年に中国政府は新しい農村貧困基準を制定し、2010年の貧困線を2,300元にしている。それは一人当たり一日2,100キロカロリーを満たすだけでなく、60グラムのたんぱく質を摂取できる基準である。08年に世界銀行は国際貧困線を1.25ドルに切り上げたが、中国の貧困線は1.6ドルに相当している。14年に中国政府は貧困線を2,800元に再度切り上げ、一人当たり一日2.2ドルに相当し、国際貧困線の1.9ドルを上回るようにしている。表2は新しい貧困線による中国貧困人口の推移である。

国際貧困線を上回る新しい貧困線で測ると、1978年の中国農村貧困人口は7.7億人に上り、貧困率は97.5%であった。すなわち、当時の中国農村人口のほとんどは貧困状態に陥ったのである。それから貧困人口は急速に減少し、2000年になると貧困率はほぼ半減の50%となった。17年に全国農村貧困人口は約3,000万人で、貧困率は3.1%となっている。後程詳しく説明するが、中国政府は20年に農村貧困人口を全部なくすという目標を打ち出している。

世界貧困人口数の減少に中国が大きく貢献している。1981年に世界貧困人口は19.4億人で中国は8.4億人を占めていた。2008年になると、世界貧困人口は12.9億人に減少したが、中国の貧困人口は1.7億人になっている[2]1981年から2008年にかけて世界貧困人口は6.5億人減少したが、それは中国が減少した貧困人口の6.7億人に下回っている。すなわち、世界貧困人口の減少はもっぱら中国の貢献だけでなく、中国を除いた世界はその間に逆に2,000万人の貧困人口増となるのである。

 

貧困識別と貧困者ターゲティング

中国貧困人口の急減は中国の高度成長と密接に関連しているが、中央政府をはじめとする各級政府の貧困削減努力、特に貧困識別及び貧困者ターゲティングも大きな役割を果たしている。現実に、2015年から中国政府が打ち出している「精準扶貧」(貧困者を特定識別し、そのニーズに応じて扶助する)はまさに貧困者ターゲティング政策である。中国の貧困削減はこの貧困者識別と貧困者ターゲティング政策によるものが大きい。

貧困者を特定・識別することは、途上国へのプロジェクト援助の実施をきっかけに行われている。プロジェクトを効率的に実施するために、援助対象をしっかり認定・識別する必要があるからである。しかし、途上国の貧困層は広大な農村に分散し、政治力・経済力が弱いため表舞台にあまり出てこない。また、識別者と識別される対象の貧困者は識別プロセスに当たってそれぞれの自己利益が存在するために、代理コストをはじめとする多くのコストが発生する。分散している貧困者を特定・識別するために、情報不対称のゆえに直接識別コストがかかる。一方、各地域に散在する有力者やエリートに任せて識別するには、識別にかかる直接識別コストが節約できるが、代理コストが別にかかるようになる。貧困者識別に当たっては、直接識別コストと代理コストは互いにトレードオフ関係になり、いかにして両者のバランスを取るかは重要である(図1)。

 

 

図1   情報対称性と代理コストのトレードオフ

情報対称性
代理コスト
自己選択法workfare
エリート捕獲
直接識別コスト

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

出所:著者作成。

 

中国の貧困識別と貧困者ターゲティング

それでは、中国はどのような貧困識別・ターゲティング方法を採用したのであろうか。1986年に中国は国務院貧困地区経済開発領導小組を設立し、農村貧困削減に本格的に取り込むようになった。それ以来の扶貧政策及び貧困者ターゲティングはおおむね次のような三つの段階に分けることができる。第1段階は、1986-2001年までの貧困県を対象とする時期である。第2段階は2001-2014年までの貧困村を対象とする時期である。そして、第3段階は2014年から現在までの貧困世帯を対象とする精準扶貧時期である。

2013年11月に習近平国家主席は湖南省考察する際に「精準扶貧」をはじめて提起し、その後精準扶貧が中国の新しい扶貧戦略となる。精準扶貧は、「扶助対象、援助プロジェクト、扶貧資金使用、政策措置、貧困村への人員派遣、貧困脱出効果」という六つの指標を「精確的に」するようと強調している。その中で貧困者世帯という扶助対象を精確的に定めることは最も重要な前提となることは言うまでもない。

中国貧困者ターゲティングの特徴

1に、中国の貧困削減はあくまでも政府主導型である。1986年以来、中国政府は中央レベルの貧困削減指導機構を設立し、貧困変化状況に応じて扶貧政策を策定している。中国政府は毎年のように農村扶貧開発に関する通知や綱要を公布し、扶貧の対象、目標、主体、方式、組織管理などを細かく定めている。その中に、1994年の「国家八七扶貧攻堅計画」、2001年の「中国農村扶貧開発綱要(2001-2010年)」と2011年の「中国農村扶貧開発綱要(2011-2020年)が最も重要な政策文書である。

2に、省、市、県、郷鎮そして村はそれぞれ扶貧開発の責任を負い、担当地域の貧困削減に取り組む。広大な国土を持ち貧困者は各地域に分散する現状を鑑み、中国政府は行政ごとに貧困削減の権限、責任を持たせ、地域に応じる扶貧開発を実施する。また、扶貧開発の成果を積極的に各級幹部の人事考課(昇進や左遷)に取り入れている。

第3に、ターゲティング対象は貧困県―貧困村―貧困世帯にシフトする。農村貧困が広範に存在した際に、その大多数は地理的歴史的経済的に恵まれていない地域に集中することが多い。その場合、貧困削減を効率的に削減し、識別コストを低く収めるために、県あるいは村をターゲティングすることは有効的である。一方、減少してきた貧困者は地域的に分散する場合は、貧困者世帯をターゲティングするのは適切であろう。中国はまさにこのロジックでターゲティング対象をシフトしてきたのである。

第4に、中国の扶貧対策は、開発プロジェクトを中心とするが、貧困をもたらす要因に応じて各分野による扶貧、先進地域による援助などを総合的に実施している。開発プロジェクト扶貧は移民プロジェクト、労働力移転プロジェクト、村ごと総合開発プロジェクト、以工代賑プロジェクト、そして各種の経済開発プロジェクトが含まれている。一方、各分野による扶貧は、科学技術援助、教育援助と職業訓練、医療衛生、社会保障などが含まれる。そしてある貧困地域を特定の先進地域とペアにし、先進地域が責任をもってペアとされた貧困地域を援助する(いわゆる「対口扶貧」)も多く実施されている。2010年代以降、一部の貧困者にみられる援助依存症に対して、志を高める(「扶志」)自助努力教育が重要視されている。

 

参考文献

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ク東京。

バナジーA.V.E.デュフロ(2012)『貧乏人の経済学:いまいち貧困問題の根っこから考え

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山崎幸治(1998)「貧困の計測と貧困解消政策」絵所秀紀・山崎幸治編『開発と貧困:貧困

の経済分析に向けて』(アジア経済研究所)第3章。

羅歓鎮(2013)「貧困と開発」東京経済大学国際経済グループ『私たちの国際経済』(第3版)

(有斐閣)第4章。

 

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劉樹卓・殷仲義・高宏偉・劉沐洋(2018)「精準扶貧中貧困的瞄準偏離研究」『公共管理学報』2018年第4期。

王萍萍・方湖柳・李興平(2006)「中国貧困標準与国際貧困標準的比較」『中国農村経済』第

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汪三貴(2007)「中国的農村扶貧:回顧与展望」『農業展望』2007年第1期。

汪三貴・郭子豪(2015)「論中国的精準扶貧」『貴州社会科学』2015年第5期。

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楊立雄(2013)『中国農村貧困線研究』中国経済出版社。

楊穂(2017)「扶貧対象的精準識別和動態調整」李培林・魏後凱・呉国宝主編『中国扶貧開発報告(2017)』(社会文献出版社)所収。

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Ravallion,M.(2016)The Economics of Poverty:History,Measurement,and Policy,Oxford University Press.

Van de Walle,D.(1998)“Targeting Revisited.World Bank Research Observer,13(2).

 

[1] 貧困概念及びその測り方に関しては、例えば山崎(1998)、世界銀行(2002)、Mavallion(2016)などを参照されたい。

[2] 羅(2013)表4-1参照。世界貧困線は一日当たり1.25ドル。


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