平和への答えは米中の国内にある 

―米大統領選が間近に迫った米中関係をめぐる緊急討論に対する総合コメント―

 

  春利

 

愛知大学国際中国学研究センター所長

 

 

講演Ⅰ 藤﨑一郎(公益財団法人中曽根康弘世界平和研究所理事長、元駐米大使)

演題  「罠の罠」

講演Ⅱ 杜 進  (拓殖大学教授)

演題  「米中関係の悪化に歯止めをかけるには」

 

 

「トゥキディデスの罠」と米中対立の行方

 

藤﨑一郎氏が講演の中で提起した「罠」とは、「トゥキディデスの罠」のことであり、英語では“The Thucydides Trap”、中国語では「修昔底德陷阱」とよばれている。それは古代アテナイの歴史家であるトゥキディデスにちなむ言葉であり、戦争が不可避な状態まで従来の覇権国家と、新興の国家がぶつかり合う現象を指している。

その背景として、いまから約2400年前に、古代ギリシャでは海上交易をおさえる経済大国としてアテナイが台頭し、陸上における軍事的覇権を事実上握るスパルタとの間で対立が生じ、ついに、長年にわたるペロポネソス戦争が勃発したのである。

(写真は中国のインターネットより)

トゥキディデス自身も将軍としてこの戦争に参加し、自分の経験と長年にわたる観察によって、ペロポネソス戦争を実証的な立場から『戦史(ペロポネソス戦争の歴史)』(8巻、中国語『伯罗奔尼撒战争史』)と題した代表作を著し、世界的な名作として後世に広く伝わっている(ウィキペディア・トゥキディデス)。

トゥキディデスの罠」という概念が登場したのは、むしろ最近のことであり、ハーバード大学ケネディ・スクール初代院長のグレアム・アリソン(Graham Allison)教授が作った造語に由来したものといわれている。彼は『Destined For War: Can America and China Escape Thucydides’s Trap?(Houghton Mifflin Harcour, 2017)と題した著書の中でこの説を展開し、それが世界的な話題作になった。

英語版が出版されてまもなく、日本語訳『米中戦争前夜新旧大国を衝突させる歴史の法則と回避のシナリオ』(藤原朝子訳、ダイアモンド社、2017年)と中国語訳『注定一战:中美能避免修昔底德陷阱吗?』(陳定定・傅強訳、上海人民出版社、2017年)が相次いで出版された。「トゥキディデスの罠」は、昨今の米中対立に関するひとつの重要な仮説として世界に広く伝わるようになった。

藤﨑氏の講演に対して、2つほど確認したい点がある。

 

Q1.米国はいま政治の季節にあり、それが終わるとリセットされるとよく言われる。今回の大統領選挙のリセットはどんな形になるのか。

Q2.講演の中で提起された米中対立の「罠の罠」は「自己予言実現的」ともいえそうだ。米中とは対照的に、日米摩擦が長年にわたり続いていたが、結局、日米は仲直りを実現した。日本の経験が米中関係に与える示唆はなにか、米中関係が日中関係に与える影響はなにか。

 

米中関係の振り子現象と政策バランス

 

杜進氏の講演は、経済貿易関係から政治外交関係まで独自の分析の枠組みとデータをもって体系的に検証し、分析を展開した。また、米中関係については中国側の視点として鄧小平氏から王毅外相、傅莹氏までフォローした。

その中で、中国側の立場は比較的鮮明であり、要するに、対立を回避、対話を促進、デカップリング(分断)には反対、ゼロサム思考を放棄すべきなどといった中国政府の対米外交の基本方針が示されている。

その一方で、米国側の視点についてはそれぞれの立場によって整理し、代表的な人物を強硬派と穏健派に類型化し、それぞれの観点をまとめた。なかでも特に、強硬派の狙いは「振り子の歯車をつめ車に改造」(逆転防止)することにあると指摘した。

杜進氏の講演に対しても、2つほど確認したい点がある。

 

Q1.米国国内の観点からすれば、「反中プロパガンダ」は選挙戦という文脈において、どれほど効果があるのか。一般的にいえば、米国の有権者は国の外交政策には関心が薄いのではないか。

Q2.傅莹氏の言う「中国は先手を打つべきである」、「中米関係は21世紀の中国の内政問題である」の真意はなにか。

 

 エズラ・ヴォーゲル「競争相手が必ず敵になる必要はない」

 

アメリカ国内の対中強硬派と穏健派の観点について、ここでは、穏健派の代表格であるハーバード大学名誉教授のエズラ・ヴォーゲル(Ezra Vogel、中国名:傅高義)先生の意見をひとつ紹介する。この意見は、彼が昨年愛知大学で講演されたときの講演録にもとづいたものである。

「中国は、私たちが競争する相手ではありますが、競争相手が必ず敵になる必要はないのです。そして米中両国の間になにか問題があると、やはり日本の役割はもっと大きくなるでしょう。

多くのアメリカ国民は、アメリカの国際的な責任を意識して、20211月には、世界の国々と良好な関係が築ける人、もっと良い政策を行うことができる人物が大統領になるべきだと考えています。」

 

(ハーバード大学名誉教授エズラ・ヴォーゲル氏と筆者、愛知大学にて)

 

講演の中では、米中貿易戦争と米中対立の行方について質問されると、ヴォーゲル先生は次のように答えた。

「アメリカ政府の中で中国をバッシングする人物がずいぶん増えています。

…貿易戦争は激しい戦争ではなく、経済面ではそれほど心配がいらないと私は考えています。むしろ私が心配しているのは、貿易戦争によって政治的な側面で悪い感情が働いてしまうということです。

具体的にいえば、アメリカの右翼と中国の左翼の動向です。言いかえると、アメリカの右翼と中国の左翼が呼応する形になって、両方とも勢力を拡大していく可能性があるのです。そうなると、私たちのような穏健派の人間は困るというわけです。そこで、日本は穏健的な役割を担うことができると思うのです。」

その後の米中関係の展開をみると、残念ながら、まさにヴォーゲル先生が指摘した方向に向かっていると言わざるを得ない。これは、ヴォーゲル先生が愛知大学中国公開講座(第20回、20191123日)での発言であり、講演の詳細は愛知大学公式YouTubeで公開されている(https://www.youtube.com/watch?v=N1kygn7lOqI)。

 

平和への答えは米中の国内にある

 

日本華人教授会議の慣例として、討論者はコメントに加えて、自分の見解についても一部述べることができる。そこで、米中関係について2つほど私見を述べたい。

実は、米中貿易戦争が始まった直後に、筆者は20188月から約1年間在外研究でハーバード大学に滞在し、現地でアメリカの対中政策の変化を見てきた。また、滞在期間中に、トランプ政権下の中間選挙も話題になっていた(『中部経済新聞』2018118日記事を参照)

「米中は、どのようにして平和が実現できるのか。」

ハーバード大学では、エズラ・ヴォ―ゲル先生が主催する中国セミナーは毎週のように米中の著名人を招いて行われ、会場ではこのような質問が時々出ていた。また、元駐日大使のキャロライン・ケネディ(Caroline Kennedy)女史を招いた講演会もハーバード大学で開催され、彼女は日米関係について講演した。キャロラインの話の中で、特にオバマ大統領の広島訪問や父親のジョン・F・ケネディをめぐる戦後の日米和解の逸話が興味深かった。

 

(キャロライン・ケネディ元駐日大使[右2]と筆者、ハーバード大学にて)

 

米国に来てみれば、意外に米中両国の共通点に気づく。まず、米国では選挙になれば、外交よりも国内情勢を優先する自国中心の傾向がある。それに対して、中国も外交より内政を優先する国柄である。

次に、中国と米国はいずれも市場開放を通じて成長を実現し、それぞれ世界第1位と第2位の外資受入国でもある。米国の活力の源泉はその開放性にある。ところが、「アメリカ・ファースト」を主張するトランプ政権の下で、米国は果たして外に対して扉が閉ざされるのだろうか。

米中対立はますますエスカレートし、出口がまだ見えない。筆者の見解では、平和への答えはおそらく米中両国の国内にあるだろう。

 

アメリカ大統領選挙のジンクス

 

最後に、アメリカの大統領選挙について、もうひとつ筆者自身の見解を示したい。

過去50年の間、アメリカ大統領選挙の際に、民主党にはひとつのジンクスがあった。民主党大統領候補者は、アメリカ南部選出でなければ本選挙に勝てないというジンクスである。第35代大統領ジョン・F・ケネディ(196163年)以来、それが立証されてきた(表参照)。

 

(出所:李春利「米国大統領選観戦記」『東アジア論壇』No12. 201611月。

http://jp.eastday.com/node2/home/latest/pl/u1ai126052.html

 

例えば、

36代大統領、リンドン・ジョンソン(196369年)、南部テキサス州選出

39代大統領、ジミー・カーター(197781年)、南部ジョージア州選出

42代大統領、ビル・クリントン(19932001年)、南部アーカンソー州選出

 

それにケネディの前任者である第33代大統領ハリー・トルーマン(194553年、南部ミズーリ州選出)を加えれば、第二次世界大戦後民主党選出のアメリカ大統領はいかに南部選出者が多いかがわかる。

その一方で、2004年の大統領選挙では、北部マサチューセッツ州選出の民主党上院議員ジョン・ケリーが現職大統領のジョージ・W・ブッシュに挑戦したが、失敗。

1988年の大統領選挙では、マサチューセッツ州知事マイケル・デュカキスが現職副大統領のジョージ・H・ブッシュに大差で敗北。

1984年の大統領選挙では、北部ミネソタ州選出のカーター政権の民主党副大統領であったウォルター・モンデール(後に駐日大使)は、現職大統領のロナルド・レーガンと競ったが、歴史的大敗を喫する。

1972年の大統領選挙では、北部サウスダコタ州選出の民主党上院議員、ジョージ・マクガバンは現職大統領のリチャード・ニクソンに史上2番目の大差で敗北を喫した。

1968年の大統領選挙では、ミネソタ州選出のジョンソン政権の副大統領ヒューバート・ハンフリーは民主党の大統領候補に指名されたが、本選挙では共和党のリチャード・ニクソンに惜敗。

1952年と56年の大統領選挙では、イリノイ州知事であったアドレー・スティーブンソンは2度にわたり、共和党候補のドワイト・アイゼンハワー(アイク)に挑んだが、いずれも大差で敗北。

かくして、第二次世界大戦後のアメリカ大統領選挙の中で、ケネディを除き、北部選出の民主党候補のほとんどが敗北を喫したのである。

南部選出者で敗北した例はただ1つ、南部テネシー州選出のクリントン政権の現職副大統領アル・ゴアである。2000年の大統領選挙では、ゴアは共和党のジョージ・W・ブッシュ候補と激戦を繰り広げ、大接戦の末、一般投票ではブッシュを543895票も上回ったものの、大統領選挙人投票ではフロリダ州において、わずか537票差でブッシュに逆転され、最終的には全国で266271の僅差で敗北している。最後に、連邦最高裁判所の判決により、ブッシュの当選が確定されたのである。

これまでの勝敗例をみてもわかるように、保守勢力が根強いアメリカ南部では、どのぐらい支持票が集められるかが、民主党大統領候補にとっていつも最大の試練なのである。

戦後75年の長きにわたり、その例外はケネディとオバマの2人だけであった。イリノイ州選出のオバマが当選してこのジンクスがようやく破られたかと思ったら、2016年にニューヨーク州選出のヒラリー・クリントンがまた、ロナルド・トランプに負けてしまった。

今回、トランプ大統領に挑んだジョー・バイデンは、大西洋岸中部のデラウェア州の選出であり、また、大統領候補にしてはめずらしいローマ・カトリックの信徒である。歴代大統領の中で、ジョン・F・ケネディだけが同じカトリックの信徒であり、しかもバイデンと同じアイルランド系移民の子孫でもある。実際、いまから約70年前にケネディが大統領選挙に出馬した際に、民主党陣営の中では、彼の能力と人望については問題ないとされたが、宗教については心配されたという記録が残っている。

それに対して、ロナルド・トランプの支持基盤は、アメリカ中西部から南東部にかけての11州をまたがるいわゆる「バイブルベルト」(Bible Belt、聖書地帯)や、有権者の約25%を占めるプロテスタントの「キリスト教福音派」であると伝えられている。宗教色の強い今回の大統領選挙では、ジョー・バイデンにとっては、これらの要素は果たしてガラスの天井になるのだろうか。4年に一度の頂上決戦がすでに目前に迫っている。  (了)


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