東京経済大学名誉教授 劉進慶氏

総括と閉幕のことば    

東京経済大学名誉教授 劉進慶      

 

本日のこの会合は日本における華僑華人の交流史上、画期的な会合ではないかと思います。

ここにいる教授たちは大学で日本の子弟たちを預かっております。例えば私の場合、少なくとも年間100人単位の学生がおります。この会の会員は今60人、したがって少なくとも×100人です。日本全体で600人の大学教授が年間6万人の学生と知識を分かち合っているのです。この会合の‘共同の知’は、すでにこの意味において日本社会に一定の貢献をしています。この場を今日、成田会長を含め財界が認知してくれました。本当に感動に耐えません。これは日本における華僑華人の日中交流史の新しい役割であり、私たちはそれを深く自覚しております。

日中交流史から言いますと、実は2000年の日中交流、すなわち仏教の伝来や儒教の共有が‘共同の知’であったのです。ですから二千数百年来、私たちはそれをもうやってきたのです。その後これを忘れ、そして今ここで改めてその重要性が認識されたのです。

過去の‘共同の知’は文化、物の交流であって生きる知恵、生き方の知恵の共有でした。現在は科学知識の交流、もの作りの知恵の交流であって、今度は私たちが日本から学ぶことになります。日本が先人として私たちを教えてくれるという意味では今日、トヨタ自動車の奥田会長が認知してくれたことは非常に画期的なことです。

いまや中国は世界の工場として多くのもの作りの‘知’を日本と共有しています。中国はこれからも一世代二世代学び続けて多分あと半世紀すると、もの作り、科学的‘知’の交流も一応卒業できるでしょう。

ここで私が特に強調しておきたいのは、未来の日中の‘知’の交流はインターネット社会の知の交流であり、これがわれわれの新しい課題ではないかということです。

いわゆるインターネット社会の交流では、科学知識の交流だけでは足りず、文化、生きる知恵、政治経済、平和の問題それから共生の知、今まで二千年あまりの生き方の知恵の交流まで含めなければなりません。インターネット社会はEメールで人間関係を作っていきますが、その人間関係が非常に重要になってきます。

成田会長が先ほど最後に、日中の未来は運命共同体であると言われましたが、正にその通りです。生きる知恵は科学知識とは違ってもっと上位概念の知恵です。かつて僧侶たちが瞑想して世の中のいろいろなシークレットを解いたように、上位概念の知を携えた、13億の中国人民と12千万の日本人民のダイナミックな知恵の交流、これが将来の日中交流の新しい歴史を作り、その一局面として経済の交流があります。一方、社会諸制度については日本のほうが先輩であるので日本から学ぶ、日本の近代的諸制度を大いに学ぶ、それからFTAです。

そういう新しい時代に大きな期待を持って、私たち教授会議の責任の重さを考えつつ、お祝いと自分を励ます気持ちで会を締めくくりたいと思います。

趙晋平氏 (日本語要約)

中国国務院発展研究中心対外経済部

趙 晋平

 

 

一、        東アジア経済一体化の推進は意義重大

世界の製造基地としての東アジアは、欧米市場に依存し、域内貿易の発展は遅い。東アジア域内貿易を発展させるためには、二国間と多国間の貿易政策の調整と自由貿易圏の設立が必要となる。

 

二、        中国は東アジア経済一体化の促進に積極的

 中国は東アジア諸国の共同発展を図り、ASEANとのFTAを推進し、香港とのCEPAに調印した。FTAに対する中国の積極的な行動は、各国の域内外とのFTA構築を促進した。

 

三、        中日両国の共同発展に有利な地域経済協力のFTA構想

 中国と日本を含む東アジアのFTAに関するさまざまな構想のなか、中国と日本が同時に参加する案だけは、全ての参加国の経済成長に促進できる(表1)

 

 

四、        中日が参加する地域貿易協定の早期交渉開始は産業界の期待

 中国と日本の貿易と投資の発展により、企業は障碍の除去、制度的保障の強化への要望が強い。中国、日本、韓国の企業は、中日韓の3カ国FTA、中国と日本の2国間FTAの構築に積極的に支持し、行動の早期開始を期待している。

 

五、        東アジア地域経済一体化を実現する道筋

 経済効果、実施可能性と各国の態度などを考慮し、東アジアの経済一体化の実施ステップとして、まず、中日韓は3国間交渉と2国間交渉を通じで3カ国FTAを結ぶ。その後、日中韓とASEANの交渉で10+3FTAを結ぶ。そのなか、日中韓の調整と協調は成功のポイントである。200311月のバリ島会議で、日中韓の首脳会談は共同宣言を発表し、3カ国のFTA推進で合意した。北東アジアの協力の枠組みを実質的に推進するため、日本政府の努力を期待する。

 

楊偉民氏 (日本語要約)

21世紀中国発展の新理念

 

中国国家発展と改革委員会発展企画司

楊偉民

 

 中国の新しい指導層は科学的発展観を打ち出した。これは中国の発展理念、強いては中国政府の執政理念における重大な転換であり、中国今後の発展モデル、発展戦略、そして経済政策に大きな影響を与えるものと考えられる。

 

一、科学的発展観の含意

・人間を基本とすること・全面的に発展すること・協調的に発展すること・持続可能な発展を図ること

二、科学的発展観を打ち立てるための重点内容

 都市と農村、地域間、経済と社会、人間と自然、国内発展と対外開放などを総合的に捉えることは科学的発展観の重点的内容であり、中国将来発展のための新しい指針である。

・都市と農村の二重構造を変えること・地域の人口や経済を均衡的に分布させ、各地の資源と環境の受容能力に相応しいものにすること・経済発展とともに、雇用、貧困、所得格差、社会保障、教育、衛生、治安などにおける諸問題を解決すること・自然と環境の許容能力を基礎に経済発展を図ること・国内発展と国際経済情勢を総合的に把握すること

 三、科学的発展観を実施するための道筋

・経済発展に対する考え方を転換させること・経済成長の方式を転換させること・地域に対するコントロールと調整方法を転換させること・各レベルの政府機能を転換させること・経済の体制とメカニズムを転換させること

 

奥田碩氏「日中関係のさらなる発展のために」

「日中関係のさらなる発展のために」

経団連会長 トヨタ自動車(株)会長 奥田碩

(はじめに)

 ご紹介をいただきました奥田でございます。

 まず、はじめに、日本華人教授会議が1周年を迎えられましたことを、心からお祝いさせていただくとともに、本日のシンポジウムにお招きをいただき、お話をさせていただく機会を頂戴しましたことに、深く感謝申し上げます。

私は、本日のテーマであります「日中共同知の構築」が、これからの中国、日本の両国にとって、もっとも必要ではないかと考えておりまして、そのための第一歩は、お互いの国に、相手国のことを深く正しく知っている研究者や知識人を増やしていくことではないかと思います。 そういう意味におきましても、この「日本華人教授会議」はきわめて大きな意義を持つものであると思います。このような取り組みを通じまして、お国に一人でも多くの、本当の意味での「知日派」の知識人が増えることを期待しておりますし、本日の私のお話が、そのために、わずかなりともお役に立つのであれば、望外の喜びとするところであります。

 それでは、まずは私どもの会社の中国ビジネスにつきまして、現地生産の展開を中心に、簡単にご紹介してまいります。

1.トヨタの中国戦略

(トヨタの海外展開と基本的な考え方)

 ご承知のとおり、自動車産業は国境を越えたグローバルなビジネスであり、国籍にかかわりなく、全世界を舞台に各社がしのぎを削っております。

昨年、トヨタ自動車にダイハツと日野を加えたトヨタグループでは、全世界で678万台の車を販売いたしましたが、国内販売が231万台なのに対しまして、海外販売は448万台に達しております。さらに、トヨタ単独だけでみますと、全世界の販売607万台のうち、日本国内は172万台に
過ぎませず、残りの435万台は日本以外の国での販売となっておりまして、その販売先は140カ国以上に及んでおります。

加えて、日本国内のマーケットはかなり成熟しており、今後大きな拡大は期待できません。したがいまして、今後の企業の成長、発展のためには、世界戦略、とりわけ成長市場を中心とした世界戦略がなにより重要であると考えておりまして、現在の世界シェアは11%程度でありますが、これを今後さらに伸ばしていきたいと考えております。

 生産という面におきましても、成長市場を中心とした世界戦略の重要性に変わりはありません。私どもは、グローバル展開における基本戦略として「消費地立地」の考え方を採用しております。すなわち、その国で売れる商品はその国で作る、現地生産を中心とした戦略でありまして、昨年末現在で、26の国と地域に46ヵ所の海外生産拠点を展開しております。 その結果、昨年の海外販売435万台に対しまして、日本からの輸出は184万台にとどまっておりまして、海外販売の6割近くが現地生産車という算になります。

 自動車という商品は、消費財としては大型であり、輸送にコストがかかるという点だけではなく、それぞれのマーケットにおける商品のニーズ、お客様の嗜好が多様であり、これに適切に答えていくためにも、売れるところで作ることが必要になってまいります。

さらに、それに加えまして、現地生産によってそれぞれの国に新たな付加価値と雇用を創出することによりまして、各国経済の成長、発展に貢献していくことが、結果として各国の自動車市場を拡大することにつながるという、好循環を生んでいきたいと考えております。こうした理念が、トヨタが消費地立地を進める理由なのでありまして、決して、人件費が安いからとか、貿易摩擦が起きるからといった理由で現地生産を選択しているのではありません。むしろ、そのような考え方による現地生産は、おそらくは、あまりうまくいかないのではないかと思っているところであります。

(トヨタの中国戦略)

 さて、成長市場を中心とした世界戦略を考えるにあたりまして、もっとも重要なのが中国市場であることは、明らかであります。

 いまさら申し上げるまでもありませんが、めざましい経済発展を続ける中国は、すでに自動車の一大マーケットとなっております。そのうえ、中国の自動車市場は、1998年には約170万台でしたが、2002年には約340万台、2003年は約450万台と、予想を上回る急成長を遂げており、今後もさらに大きな飛躍と発展を期待することができる有望市場であります。世界の自動車メーカーは争って中国ビジネスを拡大しており、私どもも同様、積極的に投資を行い、現地生産と販売を拡大していきたいと考えております。

(具体的な事業展開)

 具体的な取り組みをご紹介いたしますと、私どもは1980年代の半ばから90年代初めにかけて、瀋陽の金杯客車への技術供与や、瀋陽技能工学校の設立、あるいは北京での自動車教習所の設立など、まずは自動車産業、自動車市場の基盤整備から取り組みを進めてまいりました。日本における
私どもの経験からも、まずは自動車の運転技術の向上・拡大や、自動車の点検・整備や修理にあたるメカニックの養成といった基盤整備が、新たな市場には必要であると考えたからであります。

そしてその後、まずは部品生産事業から準備を始め、1995年に天津に中国国産化技術支援センター、1996年には天津汽車との合弁で天津豊田汽車発動機有限公司を設立し、1998年にエンジンの生産をスタートいたしました。

それに続いて、いよいよ完成車の生産に段階を移し、2001年には成都で四川旅行車との合弁でコースターの生産を、2002年には天津一汽夏利との合弁で、小型乗用車「VIOS」、中国名では「威馳(ウェイチュウ)」と申しておりますが、その生産を開始したのであります。このように、トヨタは早い時期から、段階を踏みながら中国市場との関わりを深めてまいりました。このような取り組みがあればこそ、近年になって矢継ぎ早に中国での取り組みを加速させることができるのだと考えております。

 具体的には、2002年8月には中国第一汽車集団公司との間で包括的合作協議書に調印し、さらに昨年4月には4車種の共同生産について契約いたしました。具体的には、昨年秋から来年春にかけまして、「ランドクルーザー」および「ランドクルーザープラド」をあわせて年間15,000台、「カローラ」を年間30,000台、「クラウン」を年間50,000台、それぞれ生産・販売を開始しようというものであります。

 あわせて、この3月には、長春に「クラウン」のエンジンを生産する合弁会社を、天津にプレス金型の合弁会社を設立しております。

 また、それに先立つ2月には、広州に広州汽車集団との合弁でエンジン生産会社を設立し、2005年から生産を開始する予定としております。ここで生産されたエンジンは、全量を日本向けに輸出する予定でありまして、中国には市場としてだけではなく、日本向けの部品・コンポーネントの
供給基地としても高い期待を寄せているところであります。 このように、近年のトヨタは中国事業に次々と思い切った手を打っておりまして、いかにトヨタが中国を戦略的に重要と位置づけているかをご理解いただけるものと思います。

(植林プロジェクト)

 ビジネスの話以外にも、ひとつご紹介したいと思います。それは、中国科学院などと共同で、河北省で推進しております砂漠化防止の植林プロジェクトであります。

これは、トヨタの社会貢献活動の一環として、2001年4月からスタートさせたものでありまして、この3月に第1期を終了いたしました。引き続き第2期として、2007年3月までの3年間取り組むことといたしております。第1期には、約1500ヘクタールの植林を行い、関連の研究を
実施いたしました。その結果、砂の飛散量の低下や、地温上昇の抑制などが確認されております。第2期におきましては、さらに約1000ヘクタールの植林に取り組みますとともに、砂漠からの回復後における経済の自立と持続的発展に向けて、薬草や果樹などの栽培技術の研究などにも取り組んでいく予定であります。

 私ども以外でも、たとえば王子製紙さんは、中国での植林に関しまして、人材育成や技術支援などの協力を実施しておられるのをはじめ、ベトナム国境近くでは商業植林にも取り組んでおられます。また、わが国経済界をあげての取り組みとして、日本経団連におきましても、1998年11月に
中国委員会の下に植林協力部会を設置し、2001年3月には重慶で環境植林協力プロジェクトをスタートさせておりますが、ここでも、王子製紙さんが中心的な役割を果たしておられます。

 このような取り組みは、のちほどお話し申し上げますが、日本の産業界が環境問題、環境技術、環境ビジネスを重視していることのあらわれであるとご理解いただければ幸いに存じます。

2.新ビジョンと東アジア自由経済圏構想

 ここまでは、トヨタの中国戦略についてご紹介してまいりましたが、ここからは、わが国産業界全体からみた日中関係につきまして、いくつかお話し申し上げたいと思います。 わが国の一部には、さすがに下火にはなってまいりましたが、それでも依然として「中国脅威論」や、短絡的な人民元切り上げ論などがみられるようでありますが、そのような受け身の発想からはなにも生まれないということは、わが国においてもほぼコンセンサスが得られていると申し上げてもよろしいものと思います。

中国はすでに、日本にとって大きな市場であり、投資先でもあります。中国の経済発展は、わが国企業にとっても大きなビジネスチャンスなのでありまして、日中両国は、未来志向の、前向きで開かれた関係を構築していかなければなりません。
 そして、両国は、そうした良好なパートナーシップのもとに、2つの大きな課題に共同で取り組んでいくことが求められると思います。それが、両国経済、さらには世界経済全体の活性化と成長につながるのであります。

(東アジア自由経済圏構想の重要性)

 第1の課題は、両国のパートナーシップが、大きな成長ポテンシャルを持つ東アジア経済の基軸となって、米欧に並ぶ世界経済の一極を形成していく、ということであります。日本経団連は2003年1月に、「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題する総合的な政策提言、いわゆる「新ビジョン」を発表いたしましたが、その中で、東アジア自由経済圏の形成を提言いたしております。

 ご承知のとおり、この5月1日、東欧・中欧と地中海の10カ国を新たに加えて、25カ国による拡大EUがスタートいたしました。これに対しまして、東アジアでも実態としては地域経済圏の形成が進みつつありますが、制度的な枠組みの構築は実態に較べて立ち遅れているように思われます。

現在、国際社会では、2国間のFTA、EPAの交渉や締結が非常に活発に行われております。自由貿易が拡大することは、それ自体は各国経済、ひいては世界経済全体にプラスでありますが、東アジア諸国と欧米とのFTAが相次いで締結されれば、各国企業は他の東アジア諸国とのビジネスにおいて、欧米企業に対し劣位に立たされるほか、地域としての脆弱性を克服できないといった問題が生じることが懸念されることも、一面の事実であります。

すなわち、東アジアの各国は、域外諸国とのFTA締結の前段階として、まずは域内における制度的な枠組みの整備を急ぐ必要があると思います。

それにより、この地域に自由経済圏を形成し、アジア全域のハブとしての活力と競争力を維持・強化することができれば、そこに生まれるビジネスチャンスも、きわめて大きなものとなることは、想像にかたくありません。

さらに、域内におけるビジネス上の障壁の撤廃やインフラの整備が進めば、取引コストは劇的に低下し、より強固なバリュー・チェーンが構築されて、域内企業の生産性や競争力が著しく強化され、域内各国が全体として成長、発展することが期待できると思います。

(日本に求められる取り組み)

 そのためには、日中両国が東アジア自由経済圏構想の実現に向けてリーダーシップを発揮するとともに、それぞれの国における課題に取り組むことが必要となると考えます。

 日本におきましては、申し上げるまでもなく、産業構造の高度化に引き続き精力的に取り組むとともに、国内市場の開放政策を積極的に推進する必要があります。とりわけ、農産物市場の開放につきましては、思い切った踏み込みが必要な時期に来ているものと思います。

また、外国人に開かれた社会を実現することも、日本の大きな課題であると思います。

この点におきましては、日本政府は、留学生10万人計画の達成や、優れた人材の受け入れに意欲を示すなど、一応積極的な姿勢を見せてはおります。 しかし、在留資格制度の要件や制約が依然として厳しいことや、一部の留学生が引き起こした犯罪事件をとらえて、留学生の入国を制限するかのような動きがみられるといった実態をみますと、わが国における「外国人に開かれた社会」の実現は、まだまだ掛け声だけと考えざるを得ません。

 しかしながら、日本がこれからも経済・社会の活力を高めていこうとすれば、多様性のダイナミズムを生かすことが必要不可欠であり、そのためには海外の人の力を借りなければならないことも、間違いのないところではないかと思います。そのような考え方に立ちまして、日本経団連は先月、「外国人受け入れ問題に関する提言」を発表いたしました。
 ここで、その内容を詳しくご紹介することはできませんが、この提言の検討にあたりましては、昨年11月に発表いたしました「中間取りまとめ」に対しまして、日本華人教授会議から、本質的かつ的確なご意見と、暖かい激励を頂戴いたしました。この場をお借りして、あらためて深く御礼
申し上げたいと思います。

 もう一つ日本にとって重要なのが、日本を訪れる観光客の増加であります。政府は、2010年に外国人観光客を1000万人と、現在から倍増させようという目標のもとに「ビジット・ジャパン・キャンペーンを」展開しており、「観光立国」は、日本の将来に向けて非常に重要なテーマであります。
 しかし、これは政府の掛け声だけで進んでいくような簡単な話ではありません。日本が海外の方にとって訪れてみたい国、気持ちよく滞在できる国となっていくために、政府や自治体、地域の取り組みはもとより、国民一人ひとりが意識を変えていく必要があるのではないかと思います。

(中国に求められる取り組み)

 東アジア自由経済圏構想の実現に向けて、日本の取り組むべき課題をいくつかご紹介してまいりましたが、中国におかれましても、アジア地域全体の経済発展を牽引すべく、さまざまな国内課題に精力的に取り組まれているものと承知いたしております。

具体的には、国有企業の経営の近代化や、農村部における雇用問題、あるいは不良債権問題などの金融システムの改革といった諸課題であります。

私たちは、このような課題に前向きに取り組んでおられる中国政府当局に対しまして、深い敬意を表するものであります。今後、中長期的な観点から、国際金融市場における通貨のあり方につきましても、検討が進められるものと考えております。

また、申し上げるまでもなく、中国が自ら一層の開発を進め、経済発展を実現していくことは、アジア全域の経済発展にとっても重要なファクターであります。とりわけ、中国がいま開発を進めておられる東北三省は、人材や資源も豊富であり、昨年の秋に温家宝首相とお会いしたときにもお話がありましたので、日本経団連はじめ日本の産業界としても、大いに関心を寄せてまいりたいとお答えいたしました。また、東北三省は、トヨタにとりましても、先ほどもご紹介いたしましたとおり、かねてから瀋陽の金杯客車への技術供与などを行うなど、たいへん縁の深い土地であります。

今後も、先ほど申し上げましたように、クラウンの車両とエンジンの生産を長春で行う予定といたしておりまして、引き続き、この地域に注目していきたいと考えているところであります。
 いっぽうで、日本の産業界が中国に積極的な投資を行い、ビジネスを展開していくなかで、私どもにも現場からの実務的な要望が届いてきております。たとえば、模倣品や海賊版などに代表される知的所有権の問題や、売掛金の回収に手間取るといった商慣行の問題などであります。このような問題につきましても、ビジネス環境の改善という意味で、中国当局の適切な取り組みをお願いしたいところであります。

3.環境・エネルギー問題への取り組み

 東アジア自由経済圏構想の実現に向けた取り組みと並んで、日中両国がそのパートナーシップのもとに取り組むべきもう一つの重要課題が、環境問題への取り組みであると思います。

 もちろん、環境・エネルギー問題は全人類に共通の課題であり、世界中すべての国、企業によって取り組まれなければならないテーマでありますが、とりわけ、高い成長ポテンシャルを持つアジア諸国において、これから産業が発展を遂げていく上においては、エネルギー消費の増大と環境への影響の増大が、大きな制約条件となってくることは、十分に予想されます。
 世界のエネルギー需要におけるアジアの割合は、2010年には26%に達する見込みであり、さらに2020年には30%になるという試算もあります。

エネルギー資源の確保と消費エネルギー量の抑制が、きわめて重要な課題となってくるのであります。また、アジア地域におけるエネルギー・セキュリティという観点も、欠かすことはできないものと思います。

 この問題における日中両国の果たすべき役割の大きさは、改めて申し上げるまでもないものと思います。時間も限られておりますので、詳しくは申し上げませんが、省資源・省エネルギー技術や代替エネルギー技術の開発と導入、新たな採掘源の探索、資源の安定的な確保に向けた国際協力関係の構築などに、両国がイニシアチブを発揮していくことが必要であると考えます。

また、地球環境問題への取り組みも、きわめて重要な課題であります。

さきほど、中国における植林事業についてご紹介いたしましたが、地球温暖化防止への取り組みは、全人類に共通の課題となっております。

今後、アジア各国が産業化を進めていくと同時に、温暖化ガスの排出を抑制していくことは、非常に難しい課題でありますが、しかし、これは人類の未来にとって、避けては通れない問題であります。

私は、この問題につきましては、日中両国が強力なパートナーシップのもと、アジア地域におけるリーダーシップを発揮していくことが、必要不可欠であると考えております。

同様に、環境負荷物質の管理・低減や、廃棄物の低減、リサイクルの推進といったことも、重要であります。管理体制の構築・強化や、環境関連技術の開発、普及などにおきましても、国家レベル、企業レベル、あるいはNPOなどの草の根レベルでの交流と協力を進め、日中両国の連携を深めていく必要があるものと思います。

(おわりに)

 さきほどから繰り返し申し上げておりますように、私はこれからの日本経済、日本社会が新たな発展を遂げていくためには、「多様性のダイナミズム」を生かしていくことが、ぜひとも必要であると考えております。アメリカのシリコンバレーにみられるような、異なる価値観を持つ多様な人たちがともに働き、生活することで互いに刺激を与え合い、そこから活力や創造性、独創的な発想が生まれてくるダイナミズムが必要なのであります。

 それにあたって重要なことは、多様性のダイナミズムを支えるのは「共感と信頼」であり、人々の心のなかに、多様性な価値観を受け入れる寛大さが存在することであります。すなわち、他者が自分と異なるものを求め、生きていることを理解し、尊重する、骨太な人間観であります。

 これは、口にするのはたやすいことですが、現実には非常に難しいことであります。私どもの会社でも、中国の自動車雑誌に掲載された、中国産のトヨタ車である「ランドクルーザー」と「ランドクルーザープラド」の広告がきっかけで、中国の読者のみなさんに不愉快な気持ちを与えてしまうという経験をいたしました。

これにあたりましては、即時に広告の掲載を取りやめるとともに、謝罪広告を掲載するなどの措置をとりましたが、私自身も、中国のみなさん、あるいは海外のみなさんの考え方や気持ちを理解することの難しさをあらためて痛感し、深く反省したところであります。

 日本人からみますと、中国のみなさんは隣人であり、外見も日本人と共通するところが多いせいもあってか、ついつい、ものの感じ方や考え方いったことまで、日本人と似ているのではないかと思い込んでいるきらいがあると思います。こうした思い込みが、時として誤解や行き違いを生む
原因にもなっていると思います。場合によっては、それが両国の良好な関係を構築していく上において微妙な摩擦の材料になりかねないとすれば、残念なことであります。

 現実には、外見はどうあれ、中国の人たちと日本人とは、考え方や価値観に異なる点もいろいろあることを、お互いにしっかり認識することが必要であると思います。その上で、違いを認めあい、尊重しあうことが、本当の意味での相互理解ではないかと思います。そして、冒頭にも申し上げましたが、その最初の一歩が、双方にお互いをよく知る有識者を増やしていくことであります。

 これはまさに、両国の間に「共同知」を構築していくことに他なりません。
これはもちろん、あらゆる国にあてはまることでありますが、私はとりわけ日中関係においてはその重要性が高いと考えております。 私たちは、本日のテーマであります「日中共同知の構築」の実現に向けて、あらゆる局面において、行政、研究者や研究組織、企業、非営利団体、あるいは個人といったさまざまなレベルでの交流に取り組み、共同知を積み上げていく必要があると思います。

もちろん、その推進にあたっては、双方に過度な負担とならないように配慮することが必要でありまして、そういう意味では私は、現在日中間に存在するさまざまな交流団体は、必要に応じて適切なあり方をとっていく必要があるのではないかと考えているところであります。

 このたび1周年を迎えられた日本華人教授会議が、今後ますますの発展を遂げられ、日中関係の健全な発展に大きな貢献をなされることを心よりお祈り申し上げまして、私のお話を終わらせていただきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。

「広告人として考える日中関係」

「広告人として考える日中関係」 

(株)電通 会長  成田豊

 

はじめに

 

「日本華人教授会議」の設立1周年、誠におめでとうございます。こうした晴の記念シンポジウムの席で、皆様にお話させていただく機会をいただき、誠に光栄に存じております

本日は、広告会社において私自身が携わってきたいくつかのプロジェクトの経験から、今後の日中関係のあり方について、私が考えるところをお話させていただきたいと思っております。

 

 

「教学相長也」(教学は相長ず)

 

私は、1996年の9月に当時の中華人民共和国主席であられた江沢民先生にお目にかかる機会に恵まれました。このきっかけとなったのが、電通がこれまで8年間にわたって取り組んでまいりました、「日中広告教育交流プロジェクト」であります。

このプロジェクトは、1996年に、私ども電通の創立95周年記念事業として開始され、5年間にわたって展開されました。その後、百周年記念事業として、3年間にわたる「日中マーケティング研究交流プロジェクト」へと発展いたしました。

私は、かねてより、中国と日本が相互理解を深め、永遠の友好関係を結ぶことが、両国間のみならず国際社会の平和と安定に、極めて重要であると考えておりました。電通の創立95周年を迎えた当時、その記念として100周年へと続く、中国との友好交流に意義のある事業をやりたいと思っておりました。

歴史的に考えても、中国は日本の文化の一つのルーツであり、文字をはじめ日本は中国から多くを学んでまいりました。現代の日本人の文化や生活は、2千年も前から、中国から次々にもたらされた文明・文化を基盤として成り立っているといっても、決して過言ではありません。

しかしながら、1996年当時、日中両国は、政治的な面で、ギクシャクした関係でありました。一方、経済や文化の交流はますます進展し、一衣帯水の国として、相互依存関係はきわめて強いものになっておりました。こうした日中両国の友好関係強化のために、広告人として何か貢献できることはないか、私はそのように考えていたのであります。

そんな時、19949月に老朋友、前・中国軽工総会副会長の傅立民先生にお会いしたことを思い出したのです。傅さんは、1986年、日中両国の協力により、北京で開催された「日本食品流通総合技術展覧会」の企画運営にあたった中国側の実務責任者でした。私は日本側のメンバーの一人として、傅さんと一緒に仕事をしたのですが、彼とは、初対面の時から気が合い、その後も、何かと相談し合ってきました。心から信頼し敬愛する、私の大切な友人であります。

1994年に傅さんと再会し(まし)た(。)頃、社会主義市場経済体制が進み始めた時期でした。その際、傅さんは、「中国の広告は必ずしも表現面でレベルが高くないし、なかには誇大広告もある。中国経済の発展に伴って、広告がますます重要になり、質の向上が求められている」と話されたのであります。

中国では、1992年に開かれた中国共産党の第14回党大会で社会主義市場経済が提起され、1993年の憲法改正で明文化された。「市場経済が即資本主義であるとは言えず、社会主義にも市場はある」という鄧小平主席の考えがこの政策の基礎となっている。)

当時中国は、社会主義・市場経済政策のもとで、急速な経済発展がすすむ中、マーケティングの理論研究の面では、ある程度進んでいました。しかし、私は、広告の実務面では、改善が必要な面が数多くあると感じておりました。

経済の発展の為の歯車、その歯車の潤滑油の役割を果たす広告が、人々に対する生活情報のインフラとしても、ビジネスの仕組みとしても、質の高い存在であることが、中国の更なる経済社会の発展には不可欠であると思ったのであります。

こう考えた背景には、私が電通に入社した1953年ごろの日本経済、広告界の状況があります。

私が電通に入社した当時の日本においては、広告の社会的な地位が必ずしも高くありませんでした。一部の広告主の玄関先に「押し売りと広告取りはお断り」というようなことが貼り紙されていたような時代でした。

振り返りますと、終戦直後、1947年の「日本の広告費」は僅か14.6億円、同年の日本の名目GDP1.3兆円でありました。それが半世紀余の間に、前者は約4100倍の6兆円に、後者は約385倍の500兆円にも成長してきたのであります。私はこうした華々しい広告業界の発展の礎には、旧い時代を生きた先達広告人の、志と情熱、卓越した先見性と行動力があってのことと、心より敬意を表しているのであります。

後に「広告の鬼」とよばれ、日本の広告史に残るリーダーの電通の第四代社長である吉田秀雄は、その当時、日本の広告ビジネスの近代化を強く提唱し、メディア、広告主とともに、広告ビジネスの近代化に努めておりました。

しかしながら、当時、日本には、満足な広告の教科書もなく、アメリカから英語の本を取り寄せて勉強したりしていましたが、正直言って、非常に苦労したのを覚えております。

私は、中国の広告界をこれから支えていく若い人たちが、かつて我々日本人がしたような苦労をしなくて済むように、何かお手伝いしたいと思いました。かつて中国から日本が学んだことに、ささやかなお返しがしたいと思ったのです。

折りしも、電通創立95周年の記念企画として、大学の広告実務教育の面で貢献する、交流事業を行おうと私は考えたのであります。そして、1995年の暮れ、私は、傅先生に手紙を書き、この交流事業についての意見を求めたのであります。

傅さんは、私の手紙に答えて、「ぜひこの事業を実現して欲しい。いま中国では、マーケティングや広告の質の向上が何よりも求められているのです」と、大いに賛同し、励まして下さり、実現のために大変なバックアップをしてくださいました。

そして、電通の提案に対して、中国の教育部、6つの大学、すなわち北京大学、中国人民大学、北京広播学院、清華大学美術学院、上海大学、復旦大学が異例のスピードで前向きに取り組んでくださり、96年秋から、「日中広告教育交流プロジェクト」が開始されることになったのであります。

私がここで強調したいのは、このプロジェクトの基本精神は、中国の古典「礼記」にある「教学相長也」(教学は相長ず)。「教えることは学ぶことであり、学ぶことはすなわち教えることである」ということであります。日本が一方的に中国に教えるという姿勢では決してありません。

私は、広告講座の講師として派遣する電通社員には、「君たちは草の根外交を行う、日中友好親善の民間大使である」と指示して、送り出してまいりました。

受講した中国の学生の皆さんは卒業後、広告会社、メディア、企業のマーケティング部門などに勤めたり、大学院に入って、それぞれ活躍されているとうかがっております。

また、講師をつとめた電通社員も、学生の皆さんの情熱に感動し、自ら真剣に講義に取り組み、一方で、中国の経済や社会の発展を学ぶ、大変良い機会になったと、報告してくれております。

同時に、6大学からは広告マーケティングを教える立場にある助教授クラスの先生方を、半年毎に6人ずつ東京の電通本社にお招きし、最新の広告事情について研修していただいたのであります。1年に12名ですから、この8年間で100名弱の先生方が研修を受けられたのであります。どの先生も帰国される際には、「ありがとう」という言葉を繰り返され、固い握手をしてくださりました。

日中両国で、互いに教えあい学びあった、志の高い広告人の輪が広がっていることは、広告界の先輩として、何よりの喜びとするところであります。また、こうした8年間の成果を引き継ぎ、中国で広告専門の大学を設立すべく、現在準備を進めております。

冒頭に申し上げましたように、1996年の9月に江沢民元主席にお目にかかった際、江主席は、「教育は国づくりの根幹となる事業です。我々は科学と教育をもって国を発展させることを方針にしています。日本経済が飛躍的な発展を遂げたのは、教育を重視した結果です。」とおっしゃっておりました。

私も、今後の日中関係において鍵を握るのは「教育」であると考え、日中交流プロジェクトの開始にあたっては、「実事求是」(事実に基づいて物事の真理を求める)こと、つまりは実学を重視した広告教育を目指したのであります。

中国に古くから伝えられた言葉に、「天・地・人」というものがあります。天の時、地の利、人の和のことでありますが、これら3つの条件が満たされたときに、それは成功するという意味を持っています。私は、今回のプロジェクトは、まさにその典型例になったと思っています。

 

 

オリンピックに向けたハード・ソフト面での環境整備を

 

さて、話題を変えて、「広告人」として立場から思うところを、もう一点お話させていただきます。それはオリンピックについてです。

中国は、2008年の「北京オリンピック」という国家的なビッグ・プロジェクトを控えております。日本では「1964年の東京オリンピック」が契機となって、新幹線や高速道路網といった交通・流通インフラが急速に整備され、高度成長を加速させる大きなきっかけとなりました。

オリンピックは、何十億人もの人々が同じ瞬間に夢と感動を共有しあう、人類が誇る「友好のスポーツ」であり、「平和の祭典」そのものであります。2008年は、国際社会に対して、中国社会を今以上に強く印象付けると同時に、中国の経済・社会が更なる飛躍を遂げる大きなターニングポイントとなることでありましょう。

 

私は電通の役員として、1984年のロサンゼルス大会以来、オリンピックに深く携わってまいりました。オリンピックには、公式スポンサー/サプライヤー権、公式マーク/ロゴのマーチャンダイジング権、放映権など、非常に複雑で多岐にわたる権利関係がございます。

ロサンゼルス以前、オリンピックの運営費の増加が開催にとっての大きな負担となっておりました。立候補する都市が少ない、辞退する都市が出るなど、オリンピックの存続自体が危ぶまれておりました。

こうした中開催が決まったロサンゼルスでは、赤字が予想されるオリンピックに対して、市や州、国の資金を投入することに反対する住民運動が起こるような状況にありました。このような状況で組織委員会の委員長に就任したのがピーター・ユベロス氏でした。

そこでユベロス氏は、「公的財源に迷惑はかけない」と宣言する代わりに、スポンサーから資金を集めるという方法を導入したわけであります。公式スポンサーやサプライヤーを集めると同時に、『イーグルサム』というマスコットを開発し、そのマーチャンダイジング権の販売を行いました。

当時電通は、サッカーを中心とするスポーツ・ビジネスに力を入れている時期であり、ユベロス氏に対して、日本でのスポンサー開拓に協力する旨を申し入れたわけであります。(電通の服部氏)ユベロス氏と連携しながら、日本企業に対して積極的な提案活動を行い、数社とのスポンサー契約を結ぶことに成功したのであります。(富士写真フイルム、セイコー、ブラザー等)

結果的に、このプログラムは大成功に終わり、日本のスポンサーの中でも、ロサンゼルス・オリンピック後にアメリカでの売上げが急成長したところも少なくありませんでした。

ロサンゼルス大会では、こうした仕組みが導入されたのは、アメリカのLOCLocal Olympic Committee)のみでした。ロス以降は、国際的な組織委員会であるIOCInternational Olympic Committee)の正式な資金調達の方法として採用され、今日に至るまでTOPThe Olympic Partners)プログラムとして運営されております。

こうした権利収入は、開催国の負担を和らげます。また、選手個人や参加国、特に途上国に過大な金銭的負担を強いずに、幅広い国の参加を促すことができる、といった恩恵がもたらされたのであります。

 

オリンピックという国家規模のビッグ・イベントには、交通・流通網や競技場をはじめとする様々な社会基盤の整備が必要であります。中国では、2008年に向け、インフラの整備が急ピッチで進んでいるとお伺いしております。

そして、オリンピックの開催に当たっては、ハードのインフラ整備と同時に、先ほど申し上げた様々な権利を取り扱うためのソフトのインフラ整備が非常に重要になるのであります。

著作権をはじめとする知的財産権は、国の競争力をも大きく左右するものとして注目されております。オリンピックに関する様々な権利に関しましても、グローバルな取引慣行があり、それに準じた展開が求められるのであります。

中国社会は、市場経済に本格的に足を踏み出してからまだ日が浅いということもあり、知的財産権などソフトに関する社会インフラの整備が遅れているようにも見受けられます。

北京オリンピックは、中国が、ソフト面での社会基盤整備を進める好機ということができると考えております。また、知的財産権をめぐる各種制度の確立と同時に、国民一人ひとりの意識改革も非常に重要であります。日本として、また電通としても、お手伝いできるところがあれば最大限にバックアップさせていただきたいと考えております。

 

 

運命共同体としての日中関係

 

2004年に入り、長く低迷が続いていた日本経済も、ようやく本格的な回復の兆しが見えて参りました。企業の必死の努力によって生み出された収益が、前向きな設備投資へと投下され始めているのであります。また、企業業績の回復とともに、少しずつではありますが、雇用・消費にも回復の兆しが見えてまいりました。

こうした日本経済の回復を下支えしているのが、中国向けの素材、資本財、消費財などの輸出であります。今日、世界経済における中国の影響力が大きくなる中、日中関係は「運命共同体」となりつつあります。

昨年、両国の貿易額は1300億ドルを超えたのであります。いままで世界で1000億ドル台の貿易額に達した二国関係は日・米、米・加、米・墨(メキシコ)、仏・独の4組にしか過ぎませんでした。ここ2年、米中貿易を上回るペースで日中貿易が伸びたことは、いかに日中関係が密接になったか、ということが分かるのであります。

かつて、「アメリカがクシャミをすると日本が風邪を引き、アジアが肺炎を起こす」と言われたことがありました。今日では、「中国がくしゃみをすると、日本が風邪を引き、世界が肺炎になる」といっても過言ではないと思っております。

 

そして、日中の関係強化は、経済面だけではありません。振り返りますと、1973年の日中国交正常化当時、日中交流に携わっていたのは、外交官や政治家、また一部の商社にすぎず、民間人同士の交流や相互理解はきわめて限られておりました。しかし、日中関係はいまや2000年の交流史上、はじめての「国民同士の対話の時代」に入ったと考えております。

 

最後に、先般、北京大学光華管理学院の院長であられる厲以寧(リー・イーネイ)先生からお伺いした「新・兎と亀」の寓話をご紹介したいと思います。

兎と亀が競争して、兎が先頭を行きます。途中、油断をした兎が居眠りをしている間に、亀がゴールをして、亀が勝つ、という話は皆様ご承知のことと存じます。

このお話には先があるそうです。実は、兎はこの勝負に納得せず、2回目の競争を提案しました。兎は苦い経験を活かし、一気にゴールを目指し、兎が勝ちました。

すると今度は亀が納得せず、3度目の競争を持ちかけました。亀が「この前の勝負は2回とも、君が決めたコースに従った。今度は僕が決めるコースを走ってもらう」と提案したところ、兎は、どうせ自分の方が早いからといって承諾しました。

3回目の競争が始まると、またもや兎が先頭を走ります。ところが、ゴール目前で川が立ちはだかり、兎は呆然と立ち尽くします。ようやく川辺にたどり着いた亀は川を泳ぎ、亀が勝ちました。

さて皆さん、4回目の勝負はどうなったと思われるでしょうか。兎と亀は4回目の競争にあたって、「こんな競争は意味がない、僕たちは協力して、お互いに優れたところを出し合おう」と意気投合しました。

陸では兎が亀を背負ってなるべく早く川辺に到着する。川を渡るときは亀が兎を背負って川を泳ぐ。2人で協力してなるべく早くゴールすることを目指すのです。これが「共に勝つ(Win-Win)」の関係であり、優れたところを出し合う相互補完関係で成り立つのであります。

 

私は、現在の、そして今後の日中関係は、こうした相互補完関係で進むものと信じております。

ここにお集まりの皆様は、日本で修士号、博士号を取得され、日本の社会・経済・文化に精通されているのみならず、日本そして中国に幅広い人的なネットワークをお持ちです。

今後、日中関係が親密になるほど、皆様の果たす役割がますます多くなっていくことと信じてやみません。皆様のますますのご活躍と日本華人教授会議の更なるご発展を、心よりお祈り申し上げる次第であります。

本日はご清聴、誠にありがとうございました。