神戸大学教授 王柯氏

魯迅と藤野先生の「共同知」

――中日両国における「共同知」の可能性と必要性をめぐって

神戸大学教授 王柯
いうまでもなく、中国と日本との「共同知」という考え方は、中日両国の間に共通、共有する「知」が存在し、あるいは存在しうることを前提としている。グローバリズムとナショナリズムが混在する今日において、「中日の共同知」という考え方は、両国においてきっと疑われる。その理由は、主に20世紀前半の日本による中国侵略及び戦後処理に対する考えの相違である。

しかし、中日両国の間に共通、共有できるような「知」の空間が存在していたことは、否定できない事実であろう。たとえ敵対の時期においても。それは、「共同知」の「知」(knowledge)が、一民族の生活の知恵や一国家の政治的理念ではなく、自然や人類社会を認識する知識、学術、学問の理論と範疇、及び倫理観、価値観を意味することにある。その例として、魯迅と藤野先生との間の出来事を取り上げることが出来る。

 

文化と精神構造の対話

1904(明治37、光緒30)年、若き日の魯迅が仙台医学専門学校に留学する。そこで教授藤野厳九郎と出会う。藤野は、慣れない日本語に苦労している魯迅のノートを懸命に添削し、親身になって指導したという。魯迅は後にエッセイ「藤野先生」を著し、「私が自分の師と仰ぐ人の中で、彼はもっとも私を感激させ、私を励ましてくれた一人である」と、藤野先生から大きな感銘を受けたことを明らかにしている。

文章の締めくくりとして、魯迅は次のように述べている。「彼の写真だけは、今なお北京のわが寓居の東の壁に、机に面してかけてある。夜ごと、仕事に倦(う)んで怠けたくなるとき、仰いで灯火の中に、彼の黒い、痩せた、今にも抑揚のひどい口調で語り出しそうな顔を眺めやると、たちまち私は良心を発し、かつ勇気を加えられる。そこでタバコに一本火をつけ、再び「正人君子」の連中に深く憎まれる文字を書きつづけるのである。」

中国では、魯迅が「民族の魂」、「民族の良心」と呼ばれ、階層、党派と時代を超えて国民から敬愛された。しかし、魯迅の生涯敬愛した師、そして魯迅の中国の封建主義と闘うエネルギー源になっているのは、なんと一人の日本人であった。もし魯迅が藤野先生との間の「共同知」を発見しなければ、このようなことは当然ありえなかった。

「藤野先生」の思想的価値については、多くの文学評論家や思想史家がまず日本人学生による苛め、日露戦争に関するニュース映画で1人の中国人が処刑される際に中国人はそれをまるで神経が麻痺しているかのように眺め、日本人学生が歓声を上げるなどに関する描写に注目する。つまり、魯迅がこれを通じて、1、日本国内に蔓延している中国人への民族差別を批判すること;2、中国人の民族意識、国家意識の欠如を批判すること、と解読している。しかしこうした日本の民族主義を批判しながら、中国の民族主義を呼びかけるというような解読は、論理的に矛盾していることに、文学評論家や思想史家も気づくべきであろう。

歴史研究者としての使命は、「なぜ」を設問することである。魯迅が「藤野先生」を通じて本当に何を言おうとしたのか。それに関して、二点に注目したい。

1、なぜ回想文だったのか。つまり、魯迅の文章は普通「“正人君子”の連中に深く憎まれる」風刺、批判の文体や小説となっているが、しかし「藤野先生」は違う;

2、なぜこの時期に著したのか。魯迅は1906年に仙台医学専門学校を離れ、1909年に日本から帰国する。しかし「藤野先生」を執筆したのは後の1926年になっている;

納得のいく答えは、「藤野先生」は他の目的で著されたのではなく、魯迅が深い感銘を受けた藤野先生の人格に対する賞賛であり、魯迅の恩師に対する敬愛の自然的発露である、ということであろう。

藤野先生は勤勉で、責任感が強く、誠実である。先生は分け隔てなく人間に接し、相手を理解しようと努力を惜しまず、親切である。先生は平和を愛し、協調を重んじて対立を嫌う。民族主義に煽らされた日本人の学生に比べ、魯迅の目に、藤野先生の姿は、まさに一人の「東洋的君子」に映っていた。魯迅が藤野先生の姿に共感したのは、東洋的現実主義、平等主義と平和主義である。これは、魯迅の死後、藤野先生が執筆した「謹んで周樹人様を憶う」という文章によっても裏けられる。

時間が経てば経つほど、思想家として成熟していく魯迅は、自分に対する「藤野先生」の存在価値をますます深める。そして時間が経てば経つほど、師の人格に対する敬愛が日々増していく。26年に執筆した理由は、ここにあると考えられる。日両国の社会文化は、間違いなく異なる部分がある。しかし人間の無意識ないし深層心理のメカニズムにまで追及すれば、両国は文化精神の範疇において多くの価値観を共有していることが分かる。

「藤野先生」を著したことによって、魯迅自身も人格完成上において重要な一歩を踏み出したことになる。というのは、孔子にも疑いの矛先を向ける魯迅が、ここにおいてついに「師」の存在意義を認めたのである。魯迅は、一人の日本人との精神上における対話を通じて、東洋的文化伝統に回帰したのである。これは、伝統文化への反逆精神に満ちていた魯迅自身も、意識できなかったことであろう。

まさにこのことに象徴されるように、文化と精神構造の次元で中日両国が共有できる共同知の多くは、人々に意識されずにいただけのことではなかろうか。

 

近代における学術と共同知

魯迅が藤野先生の人格を高く評価した理由は、またその学術と国家との関係に関する姿勢にある。「よく私はこう考える。彼の私に対する熱心な希望と、倦まぬ教訓とは、小にしては中国のためであり、中国に新しい医学の生まれることを希望することである。大にしては学術のためであり、新しい医学の中国へ伝わることを希望することである。彼の性格は、私の眼中において、また心裡において、偉大である。その名を知る人は少ないかも知れぬ。」

中国のためなら「小」であり、学術のためなら「大」である。この考え方は、政治的に思われてきた魯迅のイメージと、むしろ正反対だった。しかしこの考え方は、人類の「知」に対する営みというレベルで考えれば、正しいものといわざるをえない。人類普遍的な真理を探究する学術学問は、一国家の領域にとどまることができない。いわゆる「大善」である。逆に、人類普遍的な真理を探究する学術学問であれば、どの国家もその恩恵を受けることが出来る。いわゆる「小善」である。

魯迅による「大善」と「小善」の弁証法的考えの形成は、藤野先生の日常の動から受け取ったものである。藤野先生の徹底した授業と指導、藤野先生による毎週のノート添削、さらに解剖図と芸術絵画とは筋合いが違うという指摘などを通じて、魯迅は中国よりも学術の世界が大きいことを理解したのである。

ここで強調すべきは、こうした学術と国家との関係にについての考え方は、魯迅だけではなく、同時代に日本に来ていた数多くの中国人留学生がともに持っていることである。そして、自然科学の分野だけではなく、人文社会科学の分野においても同じである。20世紀に中日両国の対立、反目した歴史が長く続いていたにもかかわらず、中国の近代以降に成立した哲学、美学、文学、歴史学、考古学、人類学、法学、経済学など近代学問の分野は、そのみなもとをさがせば、必ず日本に見つけることになる。学問の枠組みだけではなく、多くの学術的概念も日本で形成された「漢語」である。

多くの学者は、中国が日本から近代の影響を受けていたことに注目している。近年来、ヨーロッパ――日本――アジアという図式を示し、欧米の近代思想の多くが日本からアジアに発信されたと考えている日本人学者もいる。しかし、われわれは日本が欧米の近代思想をアジアへ伝播する中継地に過ぎないという考え方に同意できない。

20世紀前期の中国社会のプロセスを検証すれば、欧米のような市民社会、公共領域というより、むしろ日本で展開された近代的社会システムの部分は、中国人留学生によって中国に持ち帰られ、実践されたことが分かる。たとえば近代的教育の思想、地方自治の思想などである。「日本的改造」という洗礼を受けた近代思想が、中国人にとって受け入れやすくなることは、中日両国の文化と精神構造が相似していることによるものである。

こうした対立ないし戦争を超えた両国間の「共同知」に基づき、多くの先哲、とくに多くの中国人思想家は中日両国の連携を弛まず模索した。たとえば、梁啓超の日本各界との交流、孫文による度重なる日本への接近、そして、魯迅の「藤野先生」もその努力の例になろう。

「藤野先生」が1928年に『朝花夕拾』というエッセイ集に収録された。1934年日本人増田渉と佐藤春夫が魯迅選集を日本語に訳すことを考え、魯迅に打診した。魯迅は『朝花夕拾』を日本語に訳す価値を猶予したが、「ただ『藤野先生』の一文は、必ず訳して(選集に)入れよ」と、むしろ頼んだのであった。つまり、魯迅は生涯最後までそれが自分の代表作であると考えていたのである。

しかし、1926年から1934年の間の中日関係は決して良くなかった。27年の山東出兵、28年の張作霖暗殺、1931年の満州事変、32年の満州国建国、33年の日本国際連盟脱退など、戦争への歩みにともなう時期であることがわかる。29年にいわゆる「田中上奏文」が暴露されてから、中国国民の間に日本が中国侵略の野望を持つことが知れ渡っている。日本に侵略される悲哀と苦悩を抱えながらも、日本社会における良心を発見し、「共同知」の構築を模索し続けたことは、決して孫文、魯迅など一部の中国人に限る現象ではなかった。無論、当時中国と向き合う日本の社会においても同様の苦悩を抱える人々がいる。竹内好はその典型的な例であろう。しかし残念ながら、その人数が少なく、また政治権力に対する影響力が限られた。

 

いま、なぜ「共同知」か

「共同知」の特徴は、自然や人類社会を認識する知識、学術、学問の理論と範疇、及び倫理観、価値観の次元で双方の共通点を発見することにある。これは、「親日派」、「親中派」を生産するメカニズムではなく、一民族の生活の知恵や一国家の政治理念に基づき、賞賛と齟齬が交わる「中国の日本観」や「日本の中国観」という考え方も超えたものである。

中国では、「魯迅の精神」が高く讃えられている。しかし魯迅精神の一側面は、日本人との間の「共同知」がありうるという信念であることは、前述の魯迅先生と藤野先生のエピソードから確認できる。中日両国の関係の大切さを認めれば、「共同知」という発想及びそれを求める姿勢は、どの時代においても必要であると理解できる。そして、魯迅と藤野先生のエピソードが物語っているように、とくに両国の利益が衝突する時期に、このような発想と姿勢はいっそう大切である。

今日、中国の急速な経済発展によって、中日両国関係は転換期を迎えている。それをもとに、両国の間にいささかギクシャクした空気が発生する。そのためでもあるが、両国の間に過去に出来た共同知を蘇らせ、新たな共同知の構築へ取り組む必要性が生じつつある。

現在中国と日本の間の問題として注目を集めるのは、政治と経済の問題である。しかし良好な政治関係を築き、経済関係を維持させて行くためには、共通、共有できるような知識、知恵、学術と学問、価値観の発見や構築は非常に重要である。政治と経済の基礎になるような共通、共有できるような知識、知恵、理念、価値観を構築することを通じて、両国は敵対心と警戒心を除去することができる。日本では、中国の台頭を、平常心をもって理性的に受け入れ、中国も、その急速な発展は日本に対する脅威ではなく、「平和的台頭」であることを説明ができ、そして理解される。

17世紀のイギリスの政治家で哲学者でもあるF.ベーコンは「知は力なり」、という有名な話を残した。漢字における「知」は、本来、知るとつかさどるとの二つの意味がある。21世紀において、日本と中国、そして東アジアの独特の文化精神構造を基礎に良い隣人関係を形成させることは、「知行合一」の原理に基づく「共同知」の目標であり、そして必ず達成できる目標と信じる。最後に、魯迅が戦火中、1933年にある日本人に贈った漢詩の一部を以って今日の発表を終わらせていただく。

度尽劫波兄弟在   劫波(ごうは)(わた)り尽くして 兄弟在り

 相逢一笑泯恩仇   相(あ)いて一笑すれば 恩仇(ほろ)ばん」[i]


[i] 『魯迅全集』第9巻204-205頁、学習研究社昭和606月。

東京経済大学名誉教授 劉進慶氏

総括と閉幕のことば    

東京経済大学名誉教授 劉進慶      

 

本日のこの会合は日本における華僑華人の交流史上、画期的な会合ではないかと思います。

ここにいる教授たちは大学で日本の子弟たちを預かっております。例えば私の場合、少なくとも年間100人単位の学生がおります。この会の会員は今60人、したがって少なくとも×100人です。日本全体で600人の大学教授が年間6万人の学生と知識を分かち合っているのです。この会合の‘共同の知’は、すでにこの意味において日本社会に一定の貢献をしています。この場を今日、成田会長を含め財界が認知してくれました。本当に感動に耐えません。これは日本における華僑華人の日中交流史の新しい役割であり、私たちはそれを深く自覚しております。

日中交流史から言いますと、実は2000年の日中交流、すなわち仏教の伝来や儒教の共有が‘共同の知’であったのです。ですから二千数百年来、私たちはそれをもうやってきたのです。その後これを忘れ、そして今ここで改めてその重要性が認識されたのです。

過去の‘共同の知’は文化、物の交流であって生きる知恵、生き方の知恵の共有でした。現在は科学知識の交流、もの作りの知恵の交流であって、今度は私たちが日本から学ぶことになります。日本が先人として私たちを教えてくれるという意味では今日、トヨタ自動車の奥田会長が認知してくれたことは非常に画期的なことです。

いまや中国は世界の工場として多くのもの作りの‘知’を日本と共有しています。中国はこれからも一世代二世代学び続けて多分あと半世紀すると、もの作り、科学的‘知’の交流も一応卒業できるでしょう。

ここで私が特に強調しておきたいのは、未来の日中の‘知’の交流はインターネット社会の知の交流であり、これがわれわれの新しい課題ではないかということです。

いわゆるインターネット社会の交流では、科学知識の交流だけでは足りず、文化、生きる知恵、政治経済、平和の問題それから共生の知、今まで二千年あまりの生き方の知恵の交流まで含めなければなりません。インターネット社会はEメールで人間関係を作っていきますが、その人間関係が非常に重要になってきます。

成田会長が先ほど最後に、日中の未来は運命共同体であると言われましたが、正にその通りです。生きる知恵は科学知識とは違ってもっと上位概念の知恵です。かつて僧侶たちが瞑想して世の中のいろいろなシークレットを解いたように、上位概念の知を携えた、13億の中国人民と12千万の日本人民のダイナミックな知恵の交流、これが将来の日中交流の新しい歴史を作り、その一局面として経済の交流があります。一方、社会諸制度については日本のほうが先輩であるので日本から学ぶ、日本の近代的諸制度を大いに学ぶ、それからFTAです。

そういう新しい時代に大きな期待を持って、私たち教授会議の責任の重さを考えつつ、お祝いと自分を励ます気持ちで会を締めくくりたいと思います。

趙晋平氏 (日本語要約)

中国国務院発展研究中心対外経済部

趙 晋平

 

 

一、        東アジア経済一体化の推進は意義重大

世界の製造基地としての東アジアは、欧米市場に依存し、域内貿易の発展は遅い。東アジア域内貿易を発展させるためには、二国間と多国間の貿易政策の調整と自由貿易圏の設立が必要となる。

 

二、        中国は東アジア経済一体化の促進に積極的

 中国は東アジア諸国の共同発展を図り、ASEANとのFTAを推進し、香港とのCEPAに調印した。FTAに対する中国の積極的な行動は、各国の域内外とのFTA構築を促進した。

 

三、        中日両国の共同発展に有利な地域経済協力のFTA構想

 中国と日本を含む東アジアのFTAに関するさまざまな構想のなか、中国と日本が同時に参加する案だけは、全ての参加国の経済成長に促進できる(表1)

 

 

四、        中日が参加する地域貿易協定の早期交渉開始は産業界の期待

 中国と日本の貿易と投資の発展により、企業は障碍の除去、制度的保障の強化への要望が強い。中国、日本、韓国の企業は、中日韓の3カ国FTA、中国と日本の2国間FTAの構築に積極的に支持し、行動の早期開始を期待している。

 

五、        東アジア地域経済一体化を実現する道筋

 経済効果、実施可能性と各国の態度などを考慮し、東アジアの経済一体化の実施ステップとして、まず、中日韓は3国間交渉と2国間交渉を通じで3カ国FTAを結ぶ。その後、日中韓とASEANの交渉で10+3FTAを結ぶ。そのなか、日中韓の調整と協調は成功のポイントである。200311月のバリ島会議で、日中韓の首脳会談は共同宣言を発表し、3カ国のFTA推進で合意した。北東アジアの協力の枠組みを実質的に推進するため、日本政府の努力を期待する。

 

楊偉民氏 (日本語要約)

21世紀中国発展の新理念

 

中国国家発展と改革委員会発展企画司

楊偉民

 

 中国の新しい指導層は科学的発展観を打ち出した。これは中国の発展理念、強いては中国政府の執政理念における重大な転換であり、中国今後の発展モデル、発展戦略、そして経済政策に大きな影響を与えるものと考えられる。

 

一、科学的発展観の含意

・人間を基本とすること・全面的に発展すること・協調的に発展すること・持続可能な発展を図ること

二、科学的発展観を打ち立てるための重点内容

 都市と農村、地域間、経済と社会、人間と自然、国内発展と対外開放などを総合的に捉えることは科学的発展観の重点的内容であり、中国将来発展のための新しい指針である。

・都市と農村の二重構造を変えること・地域の人口や経済を均衡的に分布させ、各地の資源と環境の受容能力に相応しいものにすること・経済発展とともに、雇用、貧困、所得格差、社会保障、教育、衛生、治安などにおける諸問題を解決すること・自然と環境の許容能力を基礎に経済発展を図ること・国内発展と国際経済情勢を総合的に把握すること

 三、科学的発展観を実施するための道筋

・経済発展に対する考え方を転換させること・経済成長の方式を転換させること・地域に対するコントロールと調整方法を転換させること・各レベルの政府機能を転換させること・経済の体制とメカニズムを転換させること

 

奥田碩氏「日中関係のさらなる発展のために」

「日中関係のさらなる発展のために」

経団連会長 トヨタ自動車(株)会長 奥田碩

(はじめに)

 ご紹介をいただきました奥田でございます。

 まず、はじめに、日本華人教授会議が1周年を迎えられましたことを、心からお祝いさせていただくとともに、本日のシンポジウムにお招きをいただき、お話をさせていただく機会を頂戴しましたことに、深く感謝申し上げます。

私は、本日のテーマであります「日中共同知の構築」が、これからの中国、日本の両国にとって、もっとも必要ではないかと考えておりまして、そのための第一歩は、お互いの国に、相手国のことを深く正しく知っている研究者や知識人を増やしていくことではないかと思います。 そういう意味におきましても、この「日本華人教授会議」はきわめて大きな意義を持つものであると思います。このような取り組みを通じまして、お国に一人でも多くの、本当の意味での「知日派」の知識人が増えることを期待しておりますし、本日の私のお話が、そのために、わずかなりともお役に立つのであれば、望外の喜びとするところであります。

 それでは、まずは私どもの会社の中国ビジネスにつきまして、現地生産の展開を中心に、簡単にご紹介してまいります。

1.トヨタの中国戦略

(トヨタの海外展開と基本的な考え方)

 ご承知のとおり、自動車産業は国境を越えたグローバルなビジネスであり、国籍にかかわりなく、全世界を舞台に各社がしのぎを削っております。

昨年、トヨタ自動車にダイハツと日野を加えたトヨタグループでは、全世界で678万台の車を販売いたしましたが、国内販売が231万台なのに対しまして、海外販売は448万台に達しております。さらに、トヨタ単独だけでみますと、全世界の販売607万台のうち、日本国内は172万台に
過ぎませず、残りの435万台は日本以外の国での販売となっておりまして、その販売先は140カ国以上に及んでおります。

加えて、日本国内のマーケットはかなり成熟しており、今後大きな拡大は期待できません。したがいまして、今後の企業の成長、発展のためには、世界戦略、とりわけ成長市場を中心とした世界戦略がなにより重要であると考えておりまして、現在の世界シェアは11%程度でありますが、これを今後さらに伸ばしていきたいと考えております。

 生産という面におきましても、成長市場を中心とした世界戦略の重要性に変わりはありません。私どもは、グローバル展開における基本戦略として「消費地立地」の考え方を採用しております。すなわち、その国で売れる商品はその国で作る、現地生産を中心とした戦略でありまして、昨年末現在で、26の国と地域に46ヵ所の海外生産拠点を展開しております。 その結果、昨年の海外販売435万台に対しまして、日本からの輸出は184万台にとどまっておりまして、海外販売の6割近くが現地生産車という算になります。

 自動車という商品は、消費財としては大型であり、輸送にコストがかかるという点だけではなく、それぞれのマーケットにおける商品のニーズ、お客様の嗜好が多様であり、これに適切に答えていくためにも、売れるところで作ることが必要になってまいります。

さらに、それに加えまして、現地生産によってそれぞれの国に新たな付加価値と雇用を創出することによりまして、各国経済の成長、発展に貢献していくことが、結果として各国の自動車市場を拡大することにつながるという、好循環を生んでいきたいと考えております。こうした理念が、トヨタが消費地立地を進める理由なのでありまして、決して、人件費が安いからとか、貿易摩擦が起きるからといった理由で現地生産を選択しているのではありません。むしろ、そのような考え方による現地生産は、おそらくは、あまりうまくいかないのではないかと思っているところであります。

(トヨタの中国戦略)

 さて、成長市場を中心とした世界戦略を考えるにあたりまして、もっとも重要なのが中国市場であることは、明らかであります。

 いまさら申し上げるまでもありませんが、めざましい経済発展を続ける中国は、すでに自動車の一大マーケットとなっております。そのうえ、中国の自動車市場は、1998年には約170万台でしたが、2002年には約340万台、2003年は約450万台と、予想を上回る急成長を遂げており、今後もさらに大きな飛躍と発展を期待することができる有望市場であります。世界の自動車メーカーは争って中国ビジネスを拡大しており、私どもも同様、積極的に投資を行い、現地生産と販売を拡大していきたいと考えております。

(具体的な事業展開)

 具体的な取り組みをご紹介いたしますと、私どもは1980年代の半ばから90年代初めにかけて、瀋陽の金杯客車への技術供与や、瀋陽技能工学校の設立、あるいは北京での自動車教習所の設立など、まずは自動車産業、自動車市場の基盤整備から取り組みを進めてまいりました。日本における
私どもの経験からも、まずは自動車の運転技術の向上・拡大や、自動車の点検・整備や修理にあたるメカニックの養成といった基盤整備が、新たな市場には必要であると考えたからであります。

そしてその後、まずは部品生産事業から準備を始め、1995年に天津に中国国産化技術支援センター、1996年には天津汽車との合弁で天津豊田汽車発動機有限公司を設立し、1998年にエンジンの生産をスタートいたしました。

それに続いて、いよいよ完成車の生産に段階を移し、2001年には成都で四川旅行車との合弁でコースターの生産を、2002年には天津一汽夏利との合弁で、小型乗用車「VIOS」、中国名では「威馳(ウェイチュウ)」と申しておりますが、その生産を開始したのであります。このように、トヨタは早い時期から、段階を踏みながら中国市場との関わりを深めてまいりました。このような取り組みがあればこそ、近年になって矢継ぎ早に中国での取り組みを加速させることができるのだと考えております。

 具体的には、2002年8月には中国第一汽車集団公司との間で包括的合作協議書に調印し、さらに昨年4月には4車種の共同生産について契約いたしました。具体的には、昨年秋から来年春にかけまして、「ランドクルーザー」および「ランドクルーザープラド」をあわせて年間15,000台、「カローラ」を年間30,000台、「クラウン」を年間50,000台、それぞれ生産・販売を開始しようというものであります。

 あわせて、この3月には、長春に「クラウン」のエンジンを生産する合弁会社を、天津にプレス金型の合弁会社を設立しております。

 また、それに先立つ2月には、広州に広州汽車集団との合弁でエンジン生産会社を設立し、2005年から生産を開始する予定としております。ここで生産されたエンジンは、全量を日本向けに輸出する予定でありまして、中国には市場としてだけではなく、日本向けの部品・コンポーネントの
供給基地としても高い期待を寄せているところであります。 このように、近年のトヨタは中国事業に次々と思い切った手を打っておりまして、いかにトヨタが中国を戦略的に重要と位置づけているかをご理解いただけるものと思います。

(植林プロジェクト)

 ビジネスの話以外にも、ひとつご紹介したいと思います。それは、中国科学院などと共同で、河北省で推進しております砂漠化防止の植林プロジェクトであります。

これは、トヨタの社会貢献活動の一環として、2001年4月からスタートさせたものでありまして、この3月に第1期を終了いたしました。引き続き第2期として、2007年3月までの3年間取り組むことといたしております。第1期には、約1500ヘクタールの植林を行い、関連の研究を
実施いたしました。その結果、砂の飛散量の低下や、地温上昇の抑制などが確認されております。第2期におきましては、さらに約1000ヘクタールの植林に取り組みますとともに、砂漠からの回復後における経済の自立と持続的発展に向けて、薬草や果樹などの栽培技術の研究などにも取り組んでいく予定であります。

 私ども以外でも、たとえば王子製紙さんは、中国での植林に関しまして、人材育成や技術支援などの協力を実施しておられるのをはじめ、ベトナム国境近くでは商業植林にも取り組んでおられます。また、わが国経済界をあげての取り組みとして、日本経団連におきましても、1998年11月に
中国委員会の下に植林協力部会を設置し、2001年3月には重慶で環境植林協力プロジェクトをスタートさせておりますが、ここでも、王子製紙さんが中心的な役割を果たしておられます。

 このような取り組みは、のちほどお話し申し上げますが、日本の産業界が環境問題、環境技術、環境ビジネスを重視していることのあらわれであるとご理解いただければ幸いに存じます。

2.新ビジョンと東アジア自由経済圏構想

 ここまでは、トヨタの中国戦略についてご紹介してまいりましたが、ここからは、わが国産業界全体からみた日中関係につきまして、いくつかお話し申し上げたいと思います。 わが国の一部には、さすがに下火にはなってまいりましたが、それでも依然として「中国脅威論」や、短絡的な人民元切り上げ論などがみられるようでありますが、そのような受け身の発想からはなにも生まれないということは、わが国においてもほぼコンセンサスが得られていると申し上げてもよろしいものと思います。

中国はすでに、日本にとって大きな市場であり、投資先でもあります。中国の経済発展は、わが国企業にとっても大きなビジネスチャンスなのでありまして、日中両国は、未来志向の、前向きで開かれた関係を構築していかなければなりません。
 そして、両国は、そうした良好なパートナーシップのもとに、2つの大きな課題に共同で取り組んでいくことが求められると思います。それが、両国経済、さらには世界経済全体の活性化と成長につながるのであります。

(東アジア自由経済圏構想の重要性)

 第1の課題は、両国のパートナーシップが、大きな成長ポテンシャルを持つ東アジア経済の基軸となって、米欧に並ぶ世界経済の一極を形成していく、ということであります。日本経団連は2003年1月に、「活力と魅力溢れる日本をめざして」と題する総合的な政策提言、いわゆる「新ビジョン」を発表いたしましたが、その中で、東アジア自由経済圏の形成を提言いたしております。

 ご承知のとおり、この5月1日、東欧・中欧と地中海の10カ国を新たに加えて、25カ国による拡大EUがスタートいたしました。これに対しまして、東アジアでも実態としては地域経済圏の形成が進みつつありますが、制度的な枠組みの構築は実態に較べて立ち遅れているように思われます。

現在、国際社会では、2国間のFTA、EPAの交渉や締結が非常に活発に行われております。自由貿易が拡大することは、それ自体は各国経済、ひいては世界経済全体にプラスでありますが、東アジア諸国と欧米とのFTAが相次いで締結されれば、各国企業は他の東アジア諸国とのビジネスにおいて、欧米企業に対し劣位に立たされるほか、地域としての脆弱性を克服できないといった問題が生じることが懸念されることも、一面の事実であります。

すなわち、東アジアの各国は、域外諸国とのFTA締結の前段階として、まずは域内における制度的な枠組みの整備を急ぐ必要があると思います。

それにより、この地域に自由経済圏を形成し、アジア全域のハブとしての活力と競争力を維持・強化することができれば、そこに生まれるビジネスチャンスも、きわめて大きなものとなることは、想像にかたくありません。

さらに、域内におけるビジネス上の障壁の撤廃やインフラの整備が進めば、取引コストは劇的に低下し、より強固なバリュー・チェーンが構築されて、域内企業の生産性や競争力が著しく強化され、域内各国が全体として成長、発展することが期待できると思います。

(日本に求められる取り組み)

 そのためには、日中両国が東アジア自由経済圏構想の実現に向けてリーダーシップを発揮するとともに、それぞれの国における課題に取り組むことが必要となると考えます。

 日本におきましては、申し上げるまでもなく、産業構造の高度化に引き続き精力的に取り組むとともに、国内市場の開放政策を積極的に推進する必要があります。とりわけ、農産物市場の開放につきましては、思い切った踏み込みが必要な時期に来ているものと思います。

また、外国人に開かれた社会を実現することも、日本の大きな課題であると思います。

この点におきましては、日本政府は、留学生10万人計画の達成や、優れた人材の受け入れに意欲を示すなど、一応積極的な姿勢を見せてはおります。 しかし、在留資格制度の要件や制約が依然として厳しいことや、一部の留学生が引き起こした犯罪事件をとらえて、留学生の入国を制限するかのような動きがみられるといった実態をみますと、わが国における「外国人に開かれた社会」の実現は、まだまだ掛け声だけと考えざるを得ません。

 しかしながら、日本がこれからも経済・社会の活力を高めていこうとすれば、多様性のダイナミズムを生かすことが必要不可欠であり、そのためには海外の人の力を借りなければならないことも、間違いのないところではないかと思います。そのような考え方に立ちまして、日本経団連は先月、「外国人受け入れ問題に関する提言」を発表いたしました。
 ここで、その内容を詳しくご紹介することはできませんが、この提言の検討にあたりましては、昨年11月に発表いたしました「中間取りまとめ」に対しまして、日本華人教授会議から、本質的かつ的確なご意見と、暖かい激励を頂戴いたしました。この場をお借りして、あらためて深く御礼
申し上げたいと思います。

 もう一つ日本にとって重要なのが、日本を訪れる観光客の増加であります。政府は、2010年に外国人観光客を1000万人と、現在から倍増させようという目標のもとに「ビジット・ジャパン・キャンペーンを」展開しており、「観光立国」は、日本の将来に向けて非常に重要なテーマであります。
 しかし、これは政府の掛け声だけで進んでいくような簡単な話ではありません。日本が海外の方にとって訪れてみたい国、気持ちよく滞在できる国となっていくために、政府や自治体、地域の取り組みはもとより、国民一人ひとりが意識を変えていく必要があるのではないかと思います。

(中国に求められる取り組み)

 東アジア自由経済圏構想の実現に向けて、日本の取り組むべき課題をいくつかご紹介してまいりましたが、中国におかれましても、アジア地域全体の経済発展を牽引すべく、さまざまな国内課題に精力的に取り組まれているものと承知いたしております。

具体的には、国有企業の経営の近代化や、農村部における雇用問題、あるいは不良債権問題などの金融システムの改革といった諸課題であります。

私たちは、このような課題に前向きに取り組んでおられる中国政府当局に対しまして、深い敬意を表するものであります。今後、中長期的な観点から、国際金融市場における通貨のあり方につきましても、検討が進められるものと考えております。

また、申し上げるまでもなく、中国が自ら一層の開発を進め、経済発展を実現していくことは、アジア全域の経済発展にとっても重要なファクターであります。とりわけ、中国がいま開発を進めておられる東北三省は、人材や資源も豊富であり、昨年の秋に温家宝首相とお会いしたときにもお話がありましたので、日本経団連はじめ日本の産業界としても、大いに関心を寄せてまいりたいとお答えいたしました。また、東北三省は、トヨタにとりましても、先ほどもご紹介いたしましたとおり、かねてから瀋陽の金杯客車への技術供与などを行うなど、たいへん縁の深い土地であります。

今後も、先ほど申し上げましたように、クラウンの車両とエンジンの生産を長春で行う予定といたしておりまして、引き続き、この地域に注目していきたいと考えているところであります。
 いっぽうで、日本の産業界が中国に積極的な投資を行い、ビジネスを展開していくなかで、私どもにも現場からの実務的な要望が届いてきております。たとえば、模倣品や海賊版などに代表される知的所有権の問題や、売掛金の回収に手間取るといった商慣行の問題などであります。このような問題につきましても、ビジネス環境の改善という意味で、中国当局の適切な取り組みをお願いしたいところであります。

3.環境・エネルギー問題への取り組み

 東アジア自由経済圏構想の実現に向けた取り組みと並んで、日中両国がそのパートナーシップのもとに取り組むべきもう一つの重要課題が、環境問題への取り組みであると思います。

 もちろん、環境・エネルギー問題は全人類に共通の課題であり、世界中すべての国、企業によって取り組まれなければならないテーマでありますが、とりわけ、高い成長ポテンシャルを持つアジア諸国において、これから産業が発展を遂げていく上においては、エネルギー消費の増大と環境への影響の増大が、大きな制約条件となってくることは、十分に予想されます。
 世界のエネルギー需要におけるアジアの割合は、2010年には26%に達する見込みであり、さらに2020年には30%になるという試算もあります。

エネルギー資源の確保と消費エネルギー量の抑制が、きわめて重要な課題となってくるのであります。また、アジア地域におけるエネルギー・セキュリティという観点も、欠かすことはできないものと思います。

 この問題における日中両国の果たすべき役割の大きさは、改めて申し上げるまでもないものと思います。時間も限られておりますので、詳しくは申し上げませんが、省資源・省エネルギー技術や代替エネルギー技術の開発と導入、新たな採掘源の探索、資源の安定的な確保に向けた国際協力関係の構築などに、両国がイニシアチブを発揮していくことが必要であると考えます。

また、地球環境問題への取り組みも、きわめて重要な課題であります。

さきほど、中国における植林事業についてご紹介いたしましたが、地球温暖化防止への取り組みは、全人類に共通の課題となっております。

今後、アジア各国が産業化を進めていくと同時に、温暖化ガスの排出を抑制していくことは、非常に難しい課題でありますが、しかし、これは人類の未来にとって、避けては通れない問題であります。

私は、この問題につきましては、日中両国が強力なパートナーシップのもと、アジア地域におけるリーダーシップを発揮していくことが、必要不可欠であると考えております。

同様に、環境負荷物質の管理・低減や、廃棄物の低減、リサイクルの推進といったことも、重要であります。管理体制の構築・強化や、環境関連技術の開発、普及などにおきましても、国家レベル、企業レベル、あるいはNPOなどの草の根レベルでの交流と協力を進め、日中両国の連携を深めていく必要があるものと思います。

(おわりに)

 さきほどから繰り返し申し上げておりますように、私はこれからの日本経済、日本社会が新たな発展を遂げていくためには、「多様性のダイナミズム」を生かしていくことが、ぜひとも必要であると考えております。アメリカのシリコンバレーにみられるような、異なる価値観を持つ多様な人たちがともに働き、生活することで互いに刺激を与え合い、そこから活力や創造性、独創的な発想が生まれてくるダイナミズムが必要なのであります。

 それにあたって重要なことは、多様性のダイナミズムを支えるのは「共感と信頼」であり、人々の心のなかに、多様性な価値観を受け入れる寛大さが存在することであります。すなわち、他者が自分と異なるものを求め、生きていることを理解し、尊重する、骨太な人間観であります。

 これは、口にするのはたやすいことですが、現実には非常に難しいことであります。私どもの会社でも、中国の自動車雑誌に掲載された、中国産のトヨタ車である「ランドクルーザー」と「ランドクルーザープラド」の広告がきっかけで、中国の読者のみなさんに不愉快な気持ちを与えてしまうという経験をいたしました。

これにあたりましては、即時に広告の掲載を取りやめるとともに、謝罪広告を掲載するなどの措置をとりましたが、私自身も、中国のみなさん、あるいは海外のみなさんの考え方や気持ちを理解することの難しさをあらためて痛感し、深く反省したところであります。

 日本人からみますと、中国のみなさんは隣人であり、外見も日本人と共通するところが多いせいもあってか、ついつい、ものの感じ方や考え方いったことまで、日本人と似ているのではないかと思い込んでいるきらいがあると思います。こうした思い込みが、時として誤解や行き違いを生む
原因にもなっていると思います。場合によっては、それが両国の良好な関係を構築していく上において微妙な摩擦の材料になりかねないとすれば、残念なことであります。

 現実には、外見はどうあれ、中国の人たちと日本人とは、考え方や価値観に異なる点もいろいろあることを、お互いにしっかり認識することが必要であると思います。その上で、違いを認めあい、尊重しあうことが、本当の意味での相互理解ではないかと思います。そして、冒頭にも申し上げましたが、その最初の一歩が、双方にお互いをよく知る有識者を増やしていくことであります。

 これはまさに、両国の間に「共同知」を構築していくことに他なりません。
これはもちろん、あらゆる国にあてはまることでありますが、私はとりわけ日中関係においてはその重要性が高いと考えております。 私たちは、本日のテーマであります「日中共同知の構築」の実現に向けて、あらゆる局面において、行政、研究者や研究組織、企業、非営利団体、あるいは個人といったさまざまなレベルでの交流に取り組み、共同知を積み上げていく必要があると思います。

もちろん、その推進にあたっては、双方に過度な負担とならないように配慮することが必要でありまして、そういう意味では私は、現在日中間に存在するさまざまな交流団体は、必要に応じて適切なあり方をとっていく必要があるのではないかと考えているところであります。

 このたび1周年を迎えられた日本華人教授会議が、今後ますますの発展を遂げられ、日中関係の健全な発展に大きな貢献をなされることを心よりお祈り申し上げまして、私のお話を終わらせていただきたいと思います。 ご静聴ありがとうございました。